合格する勉強法、指導方針

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受験業界において語られないタブー ~中高生の勉強の要諦とは?~

大手予備校にしろ、塾にしろ、家庭教師のプロフィールにしろ、「〇〇大学に合格!」という文字が華々しく並んでいます。「今年も東大に〇名、合格しました!」というのは、すでに大手予備校のキャッチフレーズになっている感があります。しかし、本当に大切な情報は、その背景で何人の生徒が東大に落ちたかです。

塾にしろ予備校にしろ、家庭教師にしろ、担当した全員が合格するなんてことは、ほぼありません。合格した人と同じ数、あるいはそれ以上の人が不合格になっています。そのことを受験業界は語りません。おそらく商売に差しさわるからでしょう。

しかし、私は、三者面談の際にはっきりと言います。例えば、私は昨年度、早稲田大学に2名合格させましたが、その背景で、同数の2名が落ちています。全5回とか全10回という単発受講の生徒さんとは、そこまで深く人間関係を結べないので、私に内緒で早稲田を受けた生徒がいるかもしれません。そういった可能性を考慮すれば、2名以上の人が早稲田に落ちていることになります。その事実を、私は三者面談ではっきり言います。

その理由は1つです。高い緊張感を持って勉強に臨んでほしいからです。

昨今の中高生の傾向として、机に向った時点ですでに疲れているということが挙げられます。特に中高一貫校は、学校から膨大な量の課題を与えられ、食事をしている時間とトイレに行ってる時間以外は全部勉強時間に充てろと言わんばかりの状況になっていますから、疲れて当然だと思います。

しかし、そのような状況にあるにせよ、勉強というものは短時間で集中してやるものです。短時間で集中するそのクオリティの高いコンセントレーションを2セット、3セット、4セット・・・・という感じで繋げていくことによって、例えば、医者の国家試験のために16時間勉強して合格した、というようなことになります。
16時間だらだらと勉強しているのではありません。質の高い集中力を維持する時間を積み重ねて16時間やってるのです。


ちなみに、受験というのは不思議なもので、意外な人が合格して、意外な人が落ちます。私の経験から言えば、落ちる生徒は生命力が弱い傾向にあります。例えば、親とうまくいってない生徒は生命力が弱い。あるいは、「今のこの自分」が好きではなく、何らか別の自分になりたいと思っている人も、生命力が弱い。言い方を変えれば、運が非常に弱い傾向にあります。

最後に。
私は生徒さんのことを生徒と呼びます。さん付けで呼びません。その理由は1つです。私は生徒をお客として見ていないからです。これまでも見てこなかったですし、この先もお客として見ないと思います。

その理由も1つです。生徒は、お客ではなく、同じ目標に向かって走る仲間だからです。生徒をお客さんにした途端、指導が甘くなります。お客様ですから、お金をいただかなくてはなりませんし、あわよくばお客様から紹介を引き出そうとします。その結果、生徒に好かれる指導になります。生徒は何かが出来ていない、何かが足らないから教えを請うています。つまり未完成かつ未分化な存在です。そういう人に迎合するような教育をすればどうなるのか。当然のように落ちます。

私は毎年、担当した生徒の何人かが志望校に落ちるという、文字通り胸と胃がキリキリと痛む経験をしていますから、生徒のことを絶対にお客様扱いしません。生徒と教員との双方が高い集中力のもと、出来ていないことを、忌憚なく「できてない」と指摘する。できたことは手放しで褒める。そういったいわば本音の教育をした上で、志望校に落ちるのなら、それなりに「納得感」があると思います。ようするに次につながる「落ち方」になります。

しかし、それをせずして「お客様が志望校に落ちた」となったとき、予備校や塾の教員や家庭教師たちは何を思うのでしょう。私はそれを知りたいのですが、語ること自体がタブーみたいになっている業界ですので、いまだ聞いたことがありません。

勉強は集中して短時間で終わらせて、遊ぼう!

おかげさまで今春もほぼ満席となりました。具体的にはあと1枠で満席になります。受講を希望の方はまずはお問い合わせください。


今年はひさしぶりに中2から浪人生まで、まんべんなく生徒さんが集まりました。昨年はほぼ高3生という状態で、それはそれで勉強になりましたが、今年はそれとはまた別の勉強ができそうで、うれしく思います。

現在、現代文は共通テストを解くための基礎テクニックの養成をしています。古文は基礎体力養成。英語は共通テスト対策を希望なさる方であっても、まずは最低でも2級を保持したいとのことで英検対策をやっています。中学生は勉強の習慣を身につけるためのあれこれをやっています。


親に言われてしかたなく勉強している人もいれば、、みずから主体的に意欲をもって勉強している人もいます。とくに海外在住のAくんの意欲はなかなかのものです。

今期は勉強に疲れているというか、学校の先生の言うとおりにやることに疲れているというか、そういった生徒さんが多いです。

私は思うのですが、勉強なんてものは、短時間で集中してパッと終わらせて、遊ぶ! というのが大原則です。特に中学生の英語なんて基礎をやってるわけですから、何か楽しいわけではありません。もちろん楽しくしようと思えばいくらでもできるわけですが、基礎というのはどの学問領域においてもさして楽しいとは思えないものです。

私は哲学基礎、すなわち哲学概論みたいな授業が本当に苦痛でした。その苦痛をどうにかしようと思えば、方法は2つしかありません。1つは、私のように苦痛に耐えて勉強して、どうにか主席かつ特待生で大学を卒業することです。もう1つは、上に申し上げた通り、勉強は短時間で集中して終わらせて、遊ぶことです。

遊ぶことが良(善)くないという風潮が、今の学校にあるように、私には見受けられますが、まったくもってよくない風潮です。いつまでもだらだら勉強するから成績が伸びないし、勉強が楽しくないです。勉強は短時間で集中して終わらせて、あとの時間は遊びましょう。

ちなみに、どこまで深く集中できるかが、その人の人生の質を決めます。集中力というのは、生まれ持ったものも当然あります。指揮者の小澤征爾さんはたぐいまれなコンセントレイションをお持ちだと、オーケストラのメンバーが口を揃えて言いますが、あれもおそらくは半分くらいは生まれ持ったものだと私は思います。

大学受験においても同じです。医学部を首席で卒業するような人は勉強の集中力が違います。もちろん長時間勉強しているはずですが、長時間の勉強に耐えうるクオリティの高い集中力を持っています。

いつまでもダラダラと勉強するのではなく、集中してパッと終わらせて遊ぼう!
遊ぶというのは、次の勉強の集中力を養うということです。遊びはただの遊びではないのです。

知的好奇心という崇高なものをどう扱うべきか

私の指導方針を一言で言い表すなら、ちまちま勉強しないという言葉になろうかと思います。すべての勉強はすべからく学問へと通じています。学部で教わるのは学問の基礎の基礎であり、修士課程で学問の基礎をやっと学べると言われますが、そういった学問に通じているのが、じつは中学生や高校生の勉強です。

勉強をチマチマしたものに「格下げ」しているのは、例えば、中学受験の塾だと、私は思います。大人にも解けないような難解なクイズみたいな問題の解き方を教え、暗記すべきものを大量に暗記させるといったチマチマした勉強のやり方を小学生のうちに教え込んでしまうどころか、体に叩き込んでしまえば、勉強とはそういったものだという認識を生徒たちが持ってしまって当たり前でしょう。残念なことだと思います。


特に、中高一貫校においては、それぞれの教科で膨大な量の課題が出されますので、どうしても勉強が作業になります。勉強が作業になってしまったら、勉強が小さくなってしまいます。本来勉強とは、もっとスケールが大きいものです。したがって、大胆にぶわっとやるべきものです。言い方を変えれば、どのような勉強にもその本質があります。まず、その本質を押さえるのです。

本質が分かっていないと細かな情報を暗記することができません。本質を理解しようと思えば、問題演習を繰り返す必要があります。例えば、英単語を覚えることができない人というのは、長文読解演習を怠っている人です。英単語というのは人の顔や名前と同じで、あちこちで見ていればやがておのずと覚えるものです。覚える量が多いので、それだけでは済まされないので、単語を暗記するだけの時間というのが必要なわけです。しかし、受験英語に出てくる常連さんの単語というのは、あちこちで顔を見ていればやがて覚えます。

勉強がチマチマしたものになるのを避けようと思えば、ダイナミックに勉強している先生、すなわち学問に通ずる知的好奇心を持っている先生に教わるのが一番だと私は思います。その意味で、私は大手予備校の先生はなかなかいいなあと思います。私の知っている大学の哲学の先生も、何人か予備校で教えておられます。

しかし、予備校というのは1対おおぜいであり、かつ成績上位3割ぐらいの生徒さんに向けて授業をしているのが常ですから、残りの7割の生徒さんはどうしても取りこぼされてしまいます。予備校というのはそういった商売なのでしょう。

その点、家庭教師はいいのではないかと思ったりもするのです。まあ贅沢といえば贅沢ですけどね。しかし、とりわけ大手予備校がない地域にお住まいの方にとってはいいのではないでしょうか。

「つなげる練習」から「推論」へ

どれだけ名の通った中高一貫校の中学生であろうと、難関大学を志望している高校生であろうと、頭の使いかたが分かっていない生徒さんが多いというのが、私の指導経験から言えることです。

例えば、中高一貫校でしばしば使われている英語の文法の問題集に「5ステージ」があります。その問題集を難しいと言う生徒さんが多いです。なぜ難しいのか? たった1行の文法問題に2つ以上の重要文法事項が盛り込まれているからです。
つまり、ちょっと問題を解く時に、あれもこれも気遣わなければ解けない設計になっているからです。
私はその問題集を非常に気に入っており、ほとんどすべての生徒さんの授業で使っていますが、ものすごく苦労して中学受験の勉強をしてきた生徒さんでも、1度に2つ以上のことを気遣うといった頭の使いかたができていません。言い方を変えれば、頭の中にある「あの情報」と「この情報」を組み合わせる、すなわち「つなげる」ができていません。しかし、皆さん優秀なので、やがてつなぎ方を覚えてサクサクと問題を解くようになります。

では、高校生はどうかといえば、現代文も英語も古文も漢文もすべて同じです。問題文が何を言ってるのかわからない。現代文の著者の主張は目の前の問題文に書かれてあるのに、それが見えてない。古文漢文に至っては絶望的。難関大学を志望する高校生でも、そういった状態からスタートします。

これは推論ができないのが原因です。推論とは、確実にわかっている情報から、不確定な情報「X」が何を言ってるのかを導き出す頭の使いかたです。学校ではほぼ教えてくれないでしょう。しかし、大学受験は推論することを求めています。
学校では先生が、例えば現代文であれば、この文章はこういうふうに読みますという説明をしてくださるそうです。古文であれば、助動詞や敬語といった文法事項をもとに1文ずつ、解釈を一緒にとってくれるそうです。それが推論の練習にならないかと言えば、決してそうではないのですが、やはり推論の本質を教えていないので、どれだけ学校の授業を真面目に聞いても「読めないものは読めない」という状態になってしまうと思われます。

推論をするには、文章の構造をとってあげればいいのですが、そのことをしつこく教え続けるうちに、さすが難関大学を志望するだけあって、やがて読めるようになり、京大オープン模試で古文漢文の正答率が9割でした! という生徒さんが現れてきます。

中学生から大学受験生に至るまで、頭を使うとは推論するということなのです。別に難しくありません。多くの学校の先生が教えていないからできないだけであり、やり方を教えると、たくましい生徒さんたちはやがて推論ができるようになり、難関大学へと羽ばたいてゆきます。
論理的思考力とか、主観を排して読めとか、あれこれ世間ではごちゃごちゃ言われますが、要するに推論の能力を磨けば志望校に合格するのです。なぜなら、とくに難関大はそれを求めているからです。そのことは過去問を見れば一目瞭然でしょう。

本当の勉強とはなにか

そのむかし、神戸の岡本にジニアスカレッジという大学受験専門の塾がありました。今思えば、関西学院大学の提携校である啓明学院の生徒さんが多く通っておられる塾だったと思います。そこの代表の吉村由美先生が『国語力をつける法』という本をお書きになっており、その本に感銘を受けた私は高校3年の夏、夏期講習を受講しました。先生の勉強に対する、あるいは学問に対するきわめて謙虚な姿勢は、その後、現在まで、私の先生となっています。

さて、ほかの先生もご指摘なさってるように、最近の生徒さんの傾向は「私に合った勉強をしたい」と思っている点にあります。私は昭和のスパルタ的教員ではないので、ある程度その要望を聞き入れて授業をします。しかし、授業をしてもしても成績が上がらないとなると、いい加減、保護者も生徒もしびれを切らしてきます。その時に私は本当のことを言います。「実は『あなたに合う勉強』というものはこの世に存在しないのだよ」と――。

勉強というものは、勉強する「私」が、勉強に体を「合わせる」ものでしかないのです。したがって、私に合う勉強というのは原理的に存在しません。学問の前に謙虚になり、やるべきことをひとつずつ誠実に積み重ねていく。そういった姿勢があるのみです。それを続ける中で、あなたの体がおのずと勉強にフィットしてゆくのです。

私の印象だと、中堅どころの中間一貫校の高校生に非常に多いのが、「私に合う勉強」以外を受け入れようとしない生徒さんです。彼、彼女は中学受験から頭が止まっています。すなわち、暗記すればどうにかなると思っています。その姿勢で高校3年生の国語や英語に歯が立つはずがない。しかし、ご本人はあくまでも「私の姿勢」のままでどうにか成績を上げたいと言ってきます。

勉強にあなたの姿勢を合わすのです。私はさほど厳しいことを言わない教員だと思っていますが、それでも、自分の体を勉強に合わすというのが厳しい言い方のように感じる生徒さんもいらっしゃいます。しかし、これは多くの優秀な先生が口を揃えて言うことですが、本当のことというのは、ときに厳しく聞こえることがあります。なんでもかんでも「いいよいいよ。あなたに合うことだけをやろうね」と言う学生バイトのような教員を、私はまるで信用していませんが、それは上記のような理由によります。

つまり、本当の勉強とは、勉強をとおして自分が変わる。そういった勉強のことなのです。「私は変化したくないのですが、それでも志望校に合格したいのです」という言い方は、したがって原理的に矛盾でしかないのです。
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